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論文

長距離相互作用スピン系のエネルギー拡散

博士課程の集大成となる論文がようやく出たので、久々のHP更新&宣伝です!

長距離相互作用スピン系のエネルギー拡散について、典型的な複数の系で同じスケーリングを示すことを、ゆらぐ流体力学とキュムラントクラスタリング定理(New!)を用いて、理論・数値的に示しました。指導教官の齊藤さんとの共著です。

https://arxiv.org/abs/2502.10139

【結果のまとめ】

相互作用が距離の冪r^{-α}で減衰する、示量的(α>D)な長距離相互作用系について、

・1次元長距離相互作用古典スピン系[横磁場Ising・XY・XYZモデル]のエネルギー拡散は、α=3/2を境に、通常拡散からLevy拡散へ転移する。

・D次元の場合、通常拡散となる十分条件は、α>D/2+1である。つまり、α>Dを満たす限りでは必ず通常拡散となる。

相互作用が2点間の距離の冪r^{-α}で減衰する長距離相互作用系は重力、プラズマ、磁気双極子、Lennard-Jonesポテンシャルなど、自然界に数多くあります。また近年は冷却原子系、Rydberg原子、イオントラップなどを用いて、長距離相互作用をもつ量子多体系が実現されるようになり、非常に注目されています。長距離相互作用系の平衡状態については、α<Dにおいて示量性が成立しなくなるなどが知られていますが、非平衡状態の性質はよく分かっていないことが多いです。特に、エネルギー輸送については、ばね系の数値計算、可解模型の結果のみで、スピン系では数値計算すらなく、いわんや、ミクロな理論は存在しませんでした。

そんな未踏の荒野でしたが、今回の論文では、典型的な複数の長距離スピン系で、示量性が成り立つ領域において、任意の次元での微視的な理論をクリアに構築しており、非常に重要な結果であると自負しています。

以下、主結果の詳細です。

長距離相互作用系では、異常な早い拡散が生じますが、非可積分なスピン系では、その異常性が、流体的な冪緩和ではなく、平衡カレント相関の発散によって生じることを見出しました。カレント相関の強度を調べることで、通常拡散が生じる十分条件を与えることができます。

ここで、長距離相互作用系のクラスタリング定理を結合キュムラントについて拡張した「キュムラントクラスタリング定理」を新たに証明し、多体相関についての上限を得る不等式を与えました。この定理を用いて、カレント相関の普遍的なバウンドを求め、α>3/2が通常拡散のための十分条件であることが示されます。

さらに、異常拡散を有効的に記述する長距離相互作用系のゆらぐ流体力学を、Zwanzigの射影演算子法を用いて導出しました。ゆらぐ流体方程式には非局所的な拡散の寄与があり、長距離性を反映しています。重要な物理量として、カレント相関は非局所的な拡散係数と結びつくことが分かりました。ここで、カレント相関の上限が最適であることを数値計算により確認し、ゆらぐ流体によってエネルギー拡散のスケーリングが正しく記述されていることを示しました。

ここまでの1次元系の議論を一般のD次元(D≧2)にも拡張したところ、カレント相関の時間積分が収束するという仮定のもとで、α>Dの示量的な領域においては、必ず通常拡散となることが分かりました。(クラスタリング定理がα<Dでも成り立てば、α>D/2+1が通常拡散の十分条件になります。)

この論文では主に古典系を扱っていますが、カレント相関の時間積分が収束するという仮定のもとで、量子系でも同様の結果が得られます。他にも、長距離のXXやXXZのスピン輸送についても同様の理論を構築できます。このように、広い系に適用できる理論的な枠組みになっていると期待しています。

今回、横磁場Ising・XY・XYZで同じ結果を与えており、長距離スピン系のエネルギー拡散のスケーリングは普遍的なのではないかと考えています。しかし、各々の証明は個別具体的なもので、背景により深い普遍的な物理があるのかどうかはまだ分かっていません。今後明らかにしていきたいところです。また、α<Dでのふるまいについても依然重要な未解決問題です。

以下、クラスタリング定理とゆらぐ流体力学についての補足的な解説です。

今回の結果で、個人的に重要だと思っているのは、情報伝播において重要なクラスタリング定理を輸送現象に適用したところです。クラスタリングとは、短距離相互作用系では、離れた2つの物理量の相関が距離について指数減衰する、という性質のことを指します。実験室で実験している時に、(重力などの長距離力を除けば、)遠い宇宙の影響は考えなくてもいいよね、という経験事実を数学的に厳密化したものです。クラスタリング定理は、ギャップのある量子系では、Lieb-Robinson限界から厳密に証明でき、長距離系にも拡張が可能です。また、この定理を用いて、低温環境での強いETH(固有状態熱化仮説)や、長距離相互作用系でのThermal Area Lawを厳密に証明できたりと、熱平衡化や相互情報量とも密接な関わりがあり、統計物理におけるもっとも深遠な定理の一つです。このように情報伝播において重要な役割を果たすクラスタリング定理ですが、今回新たに示したキュムラントについてのクラスタリング定理が、エネルギー輸送にも応用できることは、多体系の数理物理としても新しい示唆を与えていると思います。

さらには、ゆらぐ流体による有効理論も新しく非自明なものだと思っています。ゆらぐ流体力学は、格子系の熱伝導を記述する有効理論として近年注目されています。特に、低次元系での熱伝導率の発散(異常熱輸送)を説明する有効理論として、Spohnによる非線形ゆらぐ流体力学(Spohn, J. Stat. Phys. 2014)が提案され、KPZスケーリングを示すことからも様々な文脈で注目されています。非線形格子系におけるゆらぐ流体をミクロから導出するために、Zwanzigの射影演算子法を用いた理論が提案されていますが(Saito et al., Phys. Rev. Lett. 2021)、今回の理論はその手法を援用しています。(ミクロからのゆらぐ流体の厳密な導出は非常に困難なので、Markov化などの近似を用いています。)今回は、長距離相互作用系のゆらぐ流体を導出しており、スピン系なのでEulerカレントは存在せず、long-time tailもありませんが、長距離性を反映した非局所的な拡散係数が重要な役割を果たしています。 このゆらぐ流体記述が長距離相互作用系でも有効であることを示したのも重要なことだと思っています。

このテーマは、M1の夏、齊藤さんの「長距離相互作用系に流体力学はあるのか?」という問いかけ以来、ずっと考えて続けていたものです。4年越しにようやく、(スピン系でのゆらぐ流体については、)ひとつの解答を与えることができたと思っています。

修士はテーマが難しすぎて苦しい時期が続きましたが、その時のゆらぐ流体や異常熱輸送についての理解が今回の結果に繋がったと思うとちょっと感慨深いところもあります。

熱が入って長い解説になってしまいました。ここまで読んでくださってありがとうございます。論文の方も長い(約40ページ)ですが、できるだけ丁寧に書いたつもりですので、ぜひ読んでみてくださると嬉しいです。

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研究

興味分野について

今の私の研究における興味を一言で言うならば、

「強く相互作用する多体系における揺らぎと安定性」

言い換えるなら、

「揺らぎが支配的な多体系をいかに制御するか」

というモチベーションです。(今後は変わっていくかもしれませんが。)

そして、そういったモチベーションのもと、非平衡統計基礎論とスピン輸送というテーマを選ぶに至った経緯をここでは整理していこうと思います。

以前、このような記事を日本生物物理学会誌に寄稿させていただきました。

若手の会だより〜医学と生物物理学の狭間で〜

これは、医学部5年の頃、当時は理論生物学に進もうと思っていましたが、「医学部から理論生物学(理論生物物理)に進むこと」についての当時の考えをまとめたものです。

もともと医学部に進んだのも、高校生の時にシステム生物学という言葉を知り、自分が好きな数学・物理と生物を組み合わせて研究できるのは楽しそうという期待と、ついでに医師免許も取れるならいいかな、という軽い気持ちでした。しかし、医学部の教育システムは臨床医の職業養成学校という側面が強く、私がやりたい数理と、医学生としての現状とのギャップに苦しむ日々でした。

そんな中、学部3年の頃、『第3回少数性生物学トレーニングコース』という2週間の実習に参加した際に、「生体分子の少数性」という概念に初めて出会い、とても衝撃を受けたのを覚えています。詳しくは学会誌の記事を見て頂けるとありがたいですが、「少数の分子たちで構成され、非常にゆらいでいる細胞内環境で、いかにしてシステム全体として機能の安定性を保っているのか」という疑問に私はとても興味を持ちました。

その疑問に取り組むべく、医学部(旧神経生物学教室:廣瀬謙造研究室)で生体内分子のライブイメージングの実験に取り組んだりしましたが、(私の実験技術の未熟さゆえ思うようにデータが出なかったのもありますが、)生物の測定系の難しさを思い知らされました。また、理論としては、確率熱力学や確率的化学反応の数理を触ってみて、非線形性と確率性が織りなす多彩な現象(モデル)や、化学反応系の情報熱力学的な解釈の面白さを知り、確かにモデルや解釈としてはとても面白いのですが、現在の実験技術の解像度で検証できるスケールにあるのか、という点については疑問を覚えました。

「1分子スケールでのミクロな相互作用から出発して、それを縮約したマクロな構造を議論したい」という分子運動論的な枠組みで研究を進めたい私のスタンスとしては、多体系の物理としては生物(細胞内現象)はまだ早すぎる、つまり、実験的にin vivoで細胞内化学反応のダイナミクスを追って微視的な立場からモデルを検証するのはかなり難しいと感じました。

非平衡系として(微視的な立場から)生物系を理解するのはまだ時期尚早だと感じた私は、実験と理論がうまく整合しており、かつ、基礎方程式がしっかり確立していて、微視的な理解から非平衡なダイナミクスを記述できるような系が何かないかを探していました。私はツイッターでそういったぼやきをよくしており、正直路頭に迷っていたのですが、そんな折、学部6年の時に、北京のKavli-ITSにいらっしゃる松尾衛さんが私に声をかけてくださいました。

松尾さんは、スピン輸送の微視的理論の研究者ですが、もともとはハドロン出身で現在の立場に辿り着くまでに色んな苦労をなさったそうで、そういった回り道の苦労を私に重ねてくださったようです。これが、私とスピントロニクス(スピン輸送)との出会いでした。

スピントロニクスは、電子の持つスピンを揃えた流れ(スピン流)が持つ自由度を工学的に応用する物性分野ですが、実用を意識した実験系が先行している一方で、理論サイドは現象論的な直観に基づくパラメーターフィッティングで整合させたモデルが多く、微視的な理論に基づいた理解が遅れている印象があります。

しかし、スピン自由度を含む相対論的な基礎方程式はDirac方程式(非相対論的にはPauli方程式)として既に確立されています。そこで、非平衡量子多体系の場の理論におけるKeldysh Green関数の手法を用いてスピン自由度を持つハミルトニアン・ラグランジアンを解析し、スピン流における非平衡な応答を摂動計算することが可能になります。そうやって得たGreen関数が満たすKadanoff-Baym方程式から、粗視化(Wigner表示→Moyal積の勾配展開→準粒子近似など)を経て量子Boltzmann方程式や拡散方程式が得られますが、そういった微視的な理論からの粗視化を適用することで、実際のスピン輸送現象における巨視的な物理量を計算することができます。

私にとっても、実験検証が可能な系で、Kineticな手法を用いて多体系の微視的理論の計算トレーニングを積める、という意味でまさに持ってこいであると考えたわけです。私が、理論生物学からスピントロニクスへの転向を決めた瞬間でした。

スピントロニクスのある意味「地に足のついた計算」を進めたいと思いつつも、しかし、私自身の本来の興味は、生物系などより複雑な相互作用を持つ非平衡系の安定性や揺らぎを探りたいといった、より基礎論寄りの部分にあると思っています。

そういった長期的なテーマとして、齊藤圭司さんのもとで修士課程学生として研究をさせて頂くことになりました。こちらについては、まだしっかりと自分の興味が定まっているわけではありませんが、今のところは、非平衡統計基礎論を中心に、研究を進めながら分野の理解を深め、興味の焦点を定めていきたいと考えています。

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研究

私のBackgroundについて

まずは、このHPを見て頂きありがとうございます。そして、この記事を見て頂いてありがとうございます。

この記事を書いている現在、私は医師初期研修を修了し、来年度から慶應での学生生活が本格的に始まる(研究はもう始まっていますが)のを楽しみにしているところです。アラサーKOボーイですね笑

Profileを見ていただければ分かりますように、私は、医学部を卒業したのち、物理の道に進もうとしています。このような異色なキャリアパスを歩む人はそこまで多くはないでしょう。私の知る限りでは、京大の小嶋泉さん、東大の岡田康志さん、慶応の藤谷洋平さんあたりでしょうか。(私などとは比べるのも烏滸がましい偉大な先生方ですが…)

やはりよく聞かれるのは「なぜ医学部から物理に転向するのか?」という疑問です。

まず、「やっていけるのか?」という懸念に対しては、特異なキャリアパスを手探りで切り拓いていくことに不安はありますが、私にとって、大きな励みとなった出来事がありました。それは、5年前の物性若手夏の学校での、中央大の中村真さんとの出会いです。中村さんが当時28歳で全く新しい素粒子理論の分野にD1から参入するときに受入先の指導教官の先生からこう言われたそうです。

「(素粒子)理論に年齢は関係ない。年齢ではなく、成長を見る。」

(参考:中村さんの講演スライドより)

まだ研究を始めて間もない私が言うのも烏滸がましいかもしれませんが、新しい理論を生み出すのに必要なのは、探究心を常に持ち続けるための「心の余裕」だと思っています。競争的資金と任期に追われる日々で、「落ち着いた研究をする」のが難しくなりつつある昨今ですが、医師免許という「高学歴の生活保護」のおかげで、高単価のバイトで研究時間を最大限確保しつつ最低限死にはしないという安心が保証されているのは、長期的に見ればプラスに働いてくるはずだと考えています。

もちろん、まず職業研究者としての居場所を築くために、短期的な成果をコンスタントに出していかなければならない、という戦略は必要です。その辺りの見込みについては私の興味分野の話と合わせて、次の記事で触れさせていただきます。

そして、「なぜ物理なのか?」という問いに対しては、「物理が好きだから」という答え以外にはありませんね笑

ではなぜ医学部に進んだのか、と聞かれると、当時高校生の時から現在に至るまでの興味の変遷をお話しする必要があります。これも次の記事でお話しさせて頂こうと思います。